英語で本三昧

英語の朗読を聴いて楽しんでいます。 

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久しぶりに英語で小説を読みました。 英語で小説を読むのが苦手な私が、ほとんど苦痛を感じずに一冊を読みきることが出来たのは、この本が不思議な匂いに満ちていて、一度読み始めたら、閉じられなくなる、そんな本だからだと思います。 それに、素直で、やさしい単語で書かれた、けれども美しい英語のおかげです。




さて読み終わったのは、ほとんど2週間前なのですが、心の中に何かが残って、それは何だろうと思い続けてきました。 この小説は、きれいで悲しい、というのが私の第一印象でした。 子ども時代の学校での生活を思い出として語られる第一章は、広々とした芝生に囲まれた寄宿学校の様子が目に浮かび、懐かしく甘いし、大人になってからのさまざまな出来事は、淡々と語られるからこそ、震えるほど悲しいです。 でも、それだけじゃなくて、なんかどこかで知っていることだという思いがしてしょうがなかったのです。 


私にとって一番印象深いのは、主人公が大人になってから寄宿学校の校長先生に会う場面なのですが、その先生とMadamが何を考えていたんだろう、っとずっと気になっていました。 そして、段々と、校長先生が、一見フェアーで、相手のことを考えているようで、実は、こちら側とあちら側の間に厳然とした線を引いていて、あちら側の人がこちら側に入りこむことを当たり前のこととして疑問を感じることもなく拒んでいる、その様子が、どこかイギリスの中流以上の社会のもつさりげない排他性と共通しているなぁ、と感じていたのではないかと気づきました。イギリスに住んで足掛け7年、ここでの生活にすっかり慣れていっそう、イギリスという国について考えることが多くなりました。


この小説はなぞがそろそろと解けてくるところが面白いので、筋は出来るだけ書きたくないのですが、でもこの3人とその仲間に対する校長先生の付き合い方は、たとえば、まだ植民地をもっていた時代のイギリス人が、植民地の人に対して持っていた考えと、ほとんど同じではないかなと思うのです。 相手に一定のHumanityを示し、礼儀正しく付き合うけど、でも決してExclusiveな仲間には入れない。 こちら側のルールとあちら側のルールは違う。


そして、今でも、イギリス人の、特に中流以上の人が移民の人に示す態度が、似てるなぁ。。。とか。 考えすぎでしょうか。私が勝手にこの本に対してもった感触なので、作者の意図というのはまた違うと思いますが。 Kazuo Ishiguroはどんな考えを辿って、このストーリーを生み出したのか、聞いてみたいです。そして、イギリス人として高い評価を受けている作家ではあるものの、やはり、日本人という背景を同じにしていることから、彼にとって、日本人の血をひきながら、イギリス人として生きることをどう感じているか、聞いてみたいな、と思いました。


こんなことを書いても、私がイギリス人に意地悪されているわけじゃないんです。いい友達にも恵まれ、親切に、フレンドリーにしてもらっています。 でも、どこかで、イギリス人の社会の“正式な”一員となるのは難しいなぁ、と感じでいるのでしょう。


でも、これは別にイギリスだけではないですね。 日本人の社会だって、あちら側とこちら側の間にはっきり線を引いて、あちら側の人がこちら側に入り込むことを、拒んでいるところって、ありますよね?


何だか、考えすぎになってしまいましたが、私はこの本をとても楽しみました。ミステリーとして高い評価を得ていることを知り、これもまたミステリーなのか、と面白く感じました。

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Dill

Author:Dill
イギリスのロンドン郊外に住んでいます。 
本は大好き。読む本がなくなると落ち着きません。
とうとうまわりに日本語の新しい本がなくなってしまったので、英語の本を楽しみたいと思っています。

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