英語で本三昧

英語の朗読を聴いて楽しんでいます。 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
日本の公立中学校で、英語がわからない、嫌いという子が、
一年生からとても多いことにびっくりしたという記事を書いたら(ここ)、
コメントをいただいたのですが、その返事を考えているうちに、段々長くなってきたので
学校英語についての、私の個人的な考えをまとめてみようと思いました。

一応は、第二言語習得理論をもとに考えているのですが、
学問的な厳密さにはこだわらず、書いてみます。
日本の学校英語については知らないことが多いので、
まとはずれではないかと気がかりですが、
とりあえず今の時点で、私はこんな風に考えています。

言葉を操る能力については、
日常会話に使われる言語力(日常言語能力・BICS=Basic Interpersonal Communication Skills)と、
学校での勉強などで使われる言語力(認知学習言語能力CALP=Cognitive Academic Language Proficiency)は
違うものであり、わけて考えるべきだ、
という考え方があり、特にバイリンガル教育などで、かなり広く支持をうけています。

もともとは、1970年代のアメリカで、移民の子どもが、
渡米して1-2年で比較的ぺらぺら英語をしゃべれるようになったのに、
勉強となると授業についていけないというケースが多くみられ、
移民の子は知力で劣るなどと非難を浴びがちだった問題に対して、
日常的な会話に使われる言語力と、学校の勉強に必要な言語力は区別して考えるべきだ、
という説明をして、移民の子どもの言語教育に大きな転機を与えた概念です。

母国語では、小さいときに、まず日常会話をする能力を身につけて、
その後、その日常言語能力を使い、土台にして、
学校で学びながら徐々に学習のための言語能力を積み上げていく、というのは、
自然でわかりやすい流れです。

けれども、外国語の場合は、母国語ですでに学習言語能力を身に着けていれば、
その母国語の学習言語能力は、外国語にも”移転“できるという主張もあります。
私は“移転”という言葉は誤解を招きやすいけれど、
母国語の学習言語能力を梃のように応用すると、
外国語の学習言語能力のある部分は、比較的身に着けやすい、
ということはあると思っています。

たとえば、江戸時代の蘭学などは、日常言語は全く教えず、いきなり専門書を使い、
和訳しながら、同時に言葉を初歩から学んだそうですが、
これは日常言語能力を飛び越えて、
母国語の学習言語能力を梃にして、外国語の学習言語能力を学ぶ、
極端な例だと思います。

日本の昔ながらの文法中心、英文和訳中心にやる学校英語は、
日常言語能力を少なめに、大急ぎでやって、
あとは、読み中心の学習言語能力を
日本語を梃にして学ぶことを重視する学習方法、と
考えることができると思います。

日常会話はあまり知らない、話す聞くもあまりできないけど、
文法は結構知っていて、読解ならばそこそこできる、
という昔風の「日本人の英語力」は、
学習言語能力を、それも読み中心に、
母国語を梃に学んだ英語学習者の、典型的な姿と、私には思えます。

母国語を梃に外国語を操るには、
母国語を使って考えをめぐらす時間の余裕が必要なので、
読みはまあなんとかなりますが、
考え込む時間の取れない、聞く、話すでは、
あまり使い物にならないという問題があります。

また、書きは、従来の学校英語では文法和文英訳が多く、
自分の考えをまとめて英文で書くという力も、
ほとんど鍛えられなかったのではないか、と思います。

それに、学習言語能力はあっても、日常言語能力がないと、
実際に英語を使う社会に行ってみると、
基本的な用事も果たせない、という問題にぶつかるわけで、
学校で何年も勉強したのに私の英語は使い物にならない、
という嘆きも、説明がつくように思います。

20年近く前、学校英語の指導要領が「コミュニケーション重視」に変わったのは、
こうした問題への反省があったのだと思います。

この学校英語の指導要領の移行は、
今まであまり時間をかけていなかった部分に時間を使おうということですし、
さらに、その時の改定で、英語の授業時間も減らしたわけですから、
必然的に、読みや文法の学習言語能力を教える時間を削ることになったと思います。
その部分は、ある程度レベルが下がっても、仕方がない、
という判断が、当時あったのだろうと私は推測します。

ですから、新しい指導要領に移行して、文法や読解の能力が下がったとしても、
それはもともと織り込み済みのことで、その代わりに、
文法間違いをしつつも、なんとか自分で話す力とか、
普通の速度で話された英語の大筋を理解する力が伸びていれば、
それで当初の目的は達せられた、と考えるべきではないかと思います。

また、日本の学校英語のテストが、学習言語能力を、
それも読み書き中心に評価しているとしたら、
学習内容が会話能力にシフトしたわけですから、平均点が下がることもあると思います。
新しい成果の測定には、それまでとは違う評価方法が必要になるわけですが、
日本の学力テストが、内容の変化に十分対応できているか、という問題もあります。

そう考えると、今私たちが学校英語について考えることは、

 聞いたり話したりする力や、日常言語能力は、目的通り、伸びたか
 文法や学習言語能力は、以前より下がったのか
 下がったとしたら、それは問題なのか、それとも、受け入れていいレベルなのか
 今後は、日常言語能力と、学習言語能力のどのぐらいのバランスを目指すのがいいか

ということだと、私は、思います。
結局は、一番基本的な、

「学校では、どんな英語力を身に着けることを目標に英語を教えるか」、
いうことに戻ってくると思います。

日常言語能力./学習言語能力、あるいは読み書きと/話す聞く、
どちらかに、どのようなバランスで力を入れるのか、
あるいは両方に力を入れるのか、と言い換えてもいいと思います。

改定前に目標としていた学習言語能力のレベルは落とさずに、
追加で日常言語能力も、話す聞く、さらに、書く力も身に着けることを目標にするとしたら、
その場合の選択肢は、次の3つになるように思います。

 学校で英語を学習する時間を増やす
 学校で英語を学ぶ効率を上げる 
 学校で両方を薄く教え、足りない部分は学校の外で学ぶように奨励する

世界的には、日常言語能力と学習言語能力の両方を、
学校教育の中で身に着けることを目標に、
小学校から英語を教えるなど、学習時間を増やすという選択をしようとしている国が、
多いように思います。
おおざっぱに言えば、小学校レベルでまず日常会話を学ばせ、
その後、中学以降で学習言語力を学ばせるということです。

続く




BICSとCALPの概念は、1979年Cumminsによって提唱されました。
彼自身のHPに説明があります
この概念については、さまざまな批判もありますが、
言語教育の問題を議論する際に、わかりやすい考えなので、
教育学で、多く引用されます。

私は、この2種類の言語能力は、水と油のようにはっきり分かれているのではなく、
カクテルのテキーラサンライズ(!)が、オレンジとザクロシロップの赤の中間に、
オレンジから赤へと変わっていく、2色がまざりあっている部分が
かなりをしめていると同じように、日常言語能力と学習言語能力が重なる部分が、
かなり大きくあるんじゃないか、とイメージしています。

概念の区別はあっても、ここまではBICSでここからはCALPとわけることは、
ほとんど不可能だと思うのです。
また、CALPの移転についてはこちらに詳しいです。

コメント

今年もよろしくお願いします。
ここ2,3日、とても寒いです。
風邪引かないよう、お互いに気をつけましょうね。

ポッピーママ さんへ

こちらこそ、今年もよろしくお願いします。

北海道ももう新学期は始まったのでしょうか。

この前数日雪が降っただけで交通マヒで大騒ぎだったイギリスで、
毎年大雪が降りながら、粛々と日常生活を維持しつつ、
雪国の素晴らしさもあった札幌を懐かしく思い出しました。
私の通った小学校の校庭は、毎年冬はPTAの協力でスケートリンクになりました。

イギリスの息子の学校では、危険だから、雪合戦も、雪遊びも禁止と聞いて、
残念だねぇ、と札幌の小学校で雪遊びをたくさんしたことを話したら、
息子はずいぶん羨ましがってました。

すみません、暫く体調が悪く読み逃げばかりで、、、。とても興味深いです。私も小学英語にかかわる一人としてとても勉強になります。

残念ながら日本の小学英語はDillさんのように英語学習を専門的に考えられる人は殆どいないようです。授業は英語を話せる人に任せておけば大丈夫だろうと丸投げで、現場の先生と英語講師(日本人と外国人)のコミュニケーションが全くない状態です。打ち合わせすらありません。外国語授業の研修も担任教師が呼ばれるだけで、実質英語講師をしている私たちや外国人は全く呼ばれない状態です。

4月から必修化するのに先のことも何も知らされておらず、どうなっているんだろう、、、とみんないつも頭の上にクエスチョンマークです。あまりに頼りないポジションでもあるので私も民間の学校に移ることを考えています。

私も以前の記事のベネッセの資料リンクしてもいいですか?すごく勉強になりました。

追伸

すみません、ちなみにこの仕事は無給ではないです。流石に私もボランティアではやりません(けちだし)。講師としては決して悪くない時給ですが(1時間3000円前後)、基本午前中のみの仕事なこと、夏休みなど授業がない期間が長いこと、交通費が出ないこと、研修がないこと、意見をフィードバックする場がほとんどないこと、、、などで、今後続けようか悩んでいます。

しばこさん、ご無沙汰しちゃいました!

しばこさん、こんにちは。

最新記事を興味深く読ませていただいたところです。

私は2か月前までは、日本の小学校の英語教育を専門に研究しようかと
せっせと調べていたのですが、
けっきょく、いろいろ研究方法を工夫したあげく、あきらめました。
難しすぎるなぁ、というのが正直な気持ちです。

というか、英語の問題である前に、もっと別のいろんな問題が複雑にからんでいて、
国外に住む私には、ちょっとてごわすぎ・・・

でもしばこさんが本格的に英語の先生の道を進まれるとうかがって、
すごくうれしいです!!
何かお手伝いできることがあれば、ぜひおっしゃってくださいね。
楽しみですねぇ、いいなぁ。

私も10年も前に、イギリスの田舎の英語少年キャンプで、
かわいいイタリア人やブルガリア人や、
そして元気な日本や台湾の小学生に英語を教えながら、
英語の教授法のを教えてもらって、日本で教えることを夢見ていたのですがね
結局、実現しませんでしたぁ(苦笑)

心から応援します!!

(ベネッセの記事はいつでもどーぞ。 あそこには小学生英語の教師と保護者の研究もあって、
かなり興味深いですよ!)

Re: タイトルなし

しばこさん、またまたこんにちは。

そうですね、その時間だけを提供するアルバイトと考えれば
それでもいいのでしょうが、いろいろ教え方を工夫うして準備したり、
長期的に勉強をしていい先生になりたいと思うと、
なかなかそれではつらいですよねぇ。

それに、お役所の方たちが、どうもとりあえず目の前の課題を処理するために、
日本の方の協力をお願いしているような気がして、
長期的にどうしていくか、どう考えがているかわからないから、なお難しいですよね。

私はイギリスでJET経験者の話しも聞くのですが、
もうそろそろJETは見直して、長期的な教師養成政策を立てるときじゃないかなぁと
思います。

思い切って、各都道府県と文部科学省の担当の方がたに、
日本人が一人もいない、アメリカ、イギリス、NZ、オーストラリア、などの超田舎に、
一年ぐらい一人で留学していただいて、じっくり、日本の英語教育の今後を
考えていただくのがいいのではないか、と乱暴な想像をしたりします(笑)

私も同じ立場なら悩むと思います

しばこさん、またまたこんにちは。

そうですね、その時間だけを提供するアルバイトと考えれば
それでもいいのでしょうが、いろいろ教え方を工夫うして準備したり(授業時間の数倍時間がかかるし!)
長期的にもっと勉強して、いい先生になりたいと思うと、 なかなかそれではつらいですよねぇ。
お金ももちろん、責任をもたせてくれることと、長期的な展望がもてること、
それがないと、先生として長期的に自分を育てる気がなえちゃいそう。

それに、お役所の方たちが、どうもとりあえず目の前の課題を処理するために、
「市民の協力」をお願いしているような気がして、
長期的にどうしていくか、どう考えがているかわからないから、なお難しいですよね。

私はイギリスでJET経験者の話しも聞くのですが、
もうそろそろJETは見直して、長期的な教師養成政策を立てるときじゃないかなぁと
思います。


思い切って、各都道府県と文部科学省の担当の方がたに、
日本人が一人もいない、アメリカ、イギリス、NZ、オーストラリア、などの超田舎に、
一年ぐらい一人で留学していただいて、じっくり、日本人は英語とどうつきあうべきか、
英語教育の今後を 考えていただくのがいいのではないか、と乱暴な想像をしたりします。

あるいは、日本の英語教育の今後を考えるには、
英語を母国語とする国ではなく、英語を使って個人が世界に挑戦しようとしている国、
たとえば、中国やインドみたいな国で英語の力パワーを見る方がいいいかも(笑)

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://corianderuk.blog80.fc2.com/tb.php/241-316e1c2d

名前:
メール:
件名:
本文:

Dill

Author:Dill
イギリスのロンドン郊外に住んでいます。 
本は大好き。読む本がなくなると落ち着きません。
とうとうまわりに日本語の新しい本がなくなってしまったので、英語の本を楽しみたいと思っています。

全ての記事を表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。